012.スサノオの神裔

須佐之男に象徴される人物は中央政権を追われた英雄か?

櫛名田比亮は巫女だった?

八俣大蛇(やまたのおろち)を成敗した須佐之男命(すさのおのみこと)はそのまま出雲にとどまり、須賀に宮を建てた。このとき、吉祥を告げる8色の美しい雲が立ちのぼった。そこで詠んだ歌が、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに八重垣つくる その八重垣を」だった。このとき雲が立ちのぼったことから、この地が出雲と名づけられたという説もある。
また妻寵(つまご)とは、神が籠もるという意味がある。
このことから、櫛名田比売(くしなだひめ)とは神がこもる存在、つまり、ある種の巫女ではなかったのかという考え方もできる。
そして須佐之男は、妻である櫛名田比売の父・足名椎(あしなづち)を呼び、稲田官主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみふのかみ)と名づけて宮を支配させた。
この物語を単純に読めば、八俣大蛇を成敗した英雄の物語ということになり、ファンタジックでこうとうむけい おもしろ荒唐無稽な面白さが味わえる。しかし、『古事記』が公的な歴史書であることを考えると、高天原(たかまのはら)という中央政権を追われた有力者が地方にくだり、その土地の人々を自分の支配下に置いていったプロセスと読める。
さて、夫妻にはまず八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)が生まれた。

このほか須佐之男は、大山津見神(おおやまつみのかふ)の娘であり、櫛名田比売にとっては叔母にあたる神大市比売(かむおおいちひめ)とも結ばれ、大年神(おおとしのかみ)、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)ら2柱の神をもうけている。

出雲国を整備する須佐之男

須佐之男命の御子(みこ)である八島士妖美神は、大山津見神の娘である木花知流比売(このはなちるひめ)をめとり、布波能母遅久奴須奴神(ふわのもじくぬすぬのかみ)が生まれた。この神が淑迦美神(おかみのかみ)の娘に当たる日河比売(ひかわひめ)をめとり、深淵之水夜礼花神(ふかふちのみずやれはなのかみ)をもうけた。さらにこの神が天之都度関知泥神(あめのつどへちねのかみ)をめとり、淤美豆奴神(おみずぬのかみ)が生まれた。
八島士奴美神から激美豆奴神までの神々は、出雲という土地や山、雷、川、深い淵、沼地などをつかさどる存在である。こうした神々をめとり、あるいはもうけるということは、須佐之男に象徴される有力な英雄が、高天原という中央政権を追われたのち、出雲地方を征服すると同時に、その土地の開拓や治水(ちすい)などを手がけ、整備していったことを意味するとも考えられる。
神々の系譜はさらに数代続き、天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)と刺国若比売(さしくにわかひめ)との間に大国主神(おおくにぬしのかみ)が誕生する。大国主神は、のちに出雲の支配者となる重要な神で、大穴牟遅神(おおなむじのかみ)、葦原色許男神(あしはらのしこおのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、字都志国玉神(うつしくにだまのかみ)など、きわめて多くの名を持つ。
これまでにも述べてきたが、『古事記』 に登場する神々や、そこで描かれる出来事は、現実の人物や出来事を遠まわしに表現しているという側面がある。それを考えると、たくさんの名前と、無数といっていいほどの子孫を持ち、数多くの物語を残した大国主は、おそらくひとりの人間をモデルとして描かれたのではなく、出雲地方を統べる歴代の豪族や支配者の事績を映したものであっただろう。

011.ヤマタノオロチ征伐

8つの層と8つの尾を持つ大蛇と戦い、勝利する

櫛名田比売との出会い

須佐之男命(すさのうのみこと)は天石屋戸(あまのいわと)の事件の後、すべての責めを負って高天原から追放された。流浪の旅を続けていた須佐之男は、出雲国の肥河、鳥髪という地に降りた。このとき、書が上流から流れてきた。須佐之男はこれを見つけると、川上に人がいるのだと思い、上流へと進んだ。すると、そこには老夫と老女がおり、ひとりの童女を間に置いて泣いていた。
須佐之男命は尋ねた。
「おまえたちはだれか」
「私は国津神(くにつかみ)で、大山津見神(おおやまつみのかみ)の子、足名椎(あしなづち)といいます。妻の名は手名椎(てなづち)、娘の名は櫛名田比売(くしなだひめ)といいます」
「おまえはどうして泣いているのか」
「私の娘はもともと8人いましたが、高志(こし)の八俣大蛇(やまたのおろち)が毎年来てはひとりずつ食べてしまうのです。今日はその日に当たり、最後の娘が食べられるので泣いています」
「それはどのような形をしているのか」
「その日は赤加賀智(あかかがち) (ホオズキ) のようで、身ひとつに8つの頭、8つの尾があります。また、その身には苔や槍、杉が生え、その長さは8つの谷、8つの峰にわたっていて、その腹には血がにじんでいます」
「おまえの娘を私にくれないか。私は天照大御神の弟である。今、天から降りてきたところだ」
「畏れ多いことです。差しあげましょう」

八俣大蛇とは斐伊川か?
このあと須佐之男は、その童女を湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に変え、みずからの美豆良(みずら)にさした。そして、足名椎・手名椎神に、8度醸した酒をつくり、垣根を張りめぐらし、その垣根には8つの門、8つの桟敷をつけ、桟敷ごとに酒船を置いて、その酒船すべてに醸した酒を満たして待て、と告げた。
神々がその指示どおりに準備して待っていると、八俣大蛇が現れ、酒船ごとに自分の頭を入れて飲み、泥酔して寝てしまった。須佐之男命はその大蛇を十拳剣(とつかのつるぎ)で斬り刻んで殺してしまった。すると、肥河は血の川となって流れた。
また、尾を斬ったときに刀の刃が欠けたので奇妙に思い、刀で尾を割いてみると、そこには都牟刈之大刀(つむがりのたち)があった。そこでこの大刀を取りだし、天照大御神に献上した。これがのちに「三種の神器」のひとつとなる草那芸之大刀(くさなぎのたち)である。
ところで、八俣大蛇とは何か? 多くの説があるが、比較的有力なのは、斐伊川(ひいがわ)とその支流を大蛇に見立てるものだ。多くの娘を奪うというのは、河川の氾濫によって死者が出たことを暗示すると解釈する。
この説にはさらに補足がある。
須佐之男命の妻となる櫛名田比売だが、奇稲田姫(くしいなだひめ)という別称(いなだま)があり、文字どおり稲霊を神格化した神であることがわかる。つまりこの伝承は、定期的な洪水によって稲がだめになることをも表したと考えられるのだ。

010.天石屋戸開き②

天照大御神の再登場に内包される歴史的真実とは?

ふたたび太陽神が姿を現す

天石屋戸に引きこもった天照大御神は、神々が笑い騒ぐのを不審に思った。そこで戸を細めに開け、「私が引きこもっているので高天原はおのずと闇になり、また葦原中国もすべて闇であるはず

なのに、どうして天宇受売命(あめのうずめのみこと)が踊っていて、また八百万の神が笑っているのか」と、戸の内側から尋ねた。すると天宇受売命が、「あなた様にもまさる貴い神がおいでになるので、みな喜び笑って踊っているのです」と申しあげた。
このように申しあげる間に、天児屋命(あめのこやねのみこ)と布刀玉(ふとだまのみこと)命がその鏡を差しだして天照大御神にお見せすると、天照大御神はいよいよ奇妙に思い、ゆっくりと戸から出て、鏡をのぞきこんだ。
その瞬間、隠れていた天手力男神(あめのたぢからおのかみ)がその手を取って引きずり出し、布刀玉命はすかさず注連縄(しめなわ)をその後ろに引き渡して、「中に戻っ葦はなりません」と申しあげた。こうして天照大御神がふたたび出てくると、高天原も葦原中国も照り輝き、明るくなった。
この後、八百万の神は相談して、須佐之男命に多くの贖罪(しょくざい)を負わせ、髪を切り、手足の爪を抜いて追放した。

天照大御神は殺されたのか?

それにしても、この天石屋戸隠れに関する記述は、いったい何を意味しているのだろう。あらすじとしては、いったん隠れてしまった太陽神が、ふたたび姿を現すというもので、世界各国の神話に共通して見られる日蝕(にっしょく)神話との関連性が考えられる。
だが、この場面を、須佐之男という侵略者と、時の為政者である天照大御神との権力闘争の顛末として読み直してみると、まったく異なった側面が見えてくる。
まず、天照大御神が石屋戸に引きこもったということは、須佐之男という侵略者に敗れたことを暗示しているのかもしれない。
それを前提とするなら、天照大御神は呼び戻されるべき神ではなく、いっそう深く封印されるべき神といっていい。
そのように考えると、このエピソード中のこまごまとした場面設定や小道具も、また違った意味を帯びてくる。
まず、常世(とこよ)の長嶋鳥(ながなきどり)に注目したい。長嶋港とは鶏のことだが、古来、魔物のたぐいは、鶉の鳴き声を恐れて退散するといわれる。つまり、鶏の鳴き声というのは、魔を封じるための呪物であり、これによって神を復活させるとは考えにくい。笑い、酒宴、玉、鏡などもまた、魔除けの呪具である。
そして注連縄だが、これは天照大御神を石屋に戻れなくするためではなく、追放された天照大御神そのものを石屋の中に封じるために用いられた可能性がある。
このように、いろいろな視点から解釈できるのも、『古事記』 の楽しみのひとつといえるだろう。

009.天石崖戸開き①

太陽神である天照大御神が隠れ、世界は闇に閉ざされる

天照大御神を怒らせた事件

誓約(うけい)(占い) によって身の潔白が証明された須佐之男命の言い分は、「自分の心は清く明るい。だから生まれた子は、か弱い女であった」というものだった。
だが、こう言い終わるや、須佐之男は田の畔を壊し、その溝を埋め、天照大御神の住まう御殿に糞をまき散らした。
はじめ、天照大御神はいずれの蛮行にも寛大に対応した。というより、弟神の挑発に乗らないよう、じつと耐えた、といったほうがいいかもしれない。しかし、乱行は収まるどころか、さらに激しいものとなり、次第にエスカレートしてげった。
そしてあるとき決定的なことが起きる。天照大御神が忌服屋(いみはたや)で天服織女(あめのはたおりめ)に神衣を織らせているときだった。須佐之男はその機屋の屋根に穴を開け、天斑馬(あめのふちこま)の皮を逆さ剥ぎにして投げ入れた。すると天服織女はこれを見て驚き、動転して稜(び)(機織りの道具) でみずからの陰部(ほと)を刺し、死んでしまったのである。
天照大御神はついに怒り、天石屋戸(あまのいわやと)に引きこもってしまった。太陽神である天照大御神がいなくなると、神々が住む高天原も、人間が住む葦原中国(あしはらのなかつくに)も、ことごとく闇となった。そして世界には長い夜が続き、悪神の声が夏の蝿のように満ちあふれ、ありとあらゆる災いが起こった。

思金神が立てた作戦とは

ほとほと困り果てた神々は、天安河(あめのやすかわ)の河原に集まり、高御座楽日神(たかみむすひのかみ)の子の思金神(おもいかねのかみ)に知恵を出させた。すると思金神は、次のように提案し、それはさっそく実行に移されることになった。
まず、常世(とこよ)の長嶋鳥(ながなきどり)を多く集めて鳴かせる。そして、天安河の川上の堅い石や鉱山の鉄を取って、鍛冶師の天津麻羅(あまつまら)に矛(ほこ)をつくらせた。
また、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に命じて鏡をつくらせ、玉祖命(たまのやのもこと)に命じて八尺蝮勾珠(やさかにのまがたま)の五百簡之御統之珠(いおつのみすまるのたま)をつくらせた。
また、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)を呼んで、天香山(あめのかぐやま)の
牡鹿(おじか)の肩の骨を抜き、天香山の天之波波迦(あめのははか)によって占わせた。これら一連のはかりごとが正しいかどうかを知るためだ。
占いの結果、正しいことがわかったので、今度は天香山に繁る榊を根ごと掘り出し、その上の枝には八尺填勾珠の五百箇之御統之珠、準の披経は八尺鏡、下の枝には白い布吊(神が依り憑く衣)と青い布吊を垂らした。これを布刀玉衛が持ち、天児屋命が詔戸言(のりとごと)(祀詞(のりと))を唱えて、天手力男神(あぬのたぢからおのかみ)が戸の脇に隠れて立った。
それからいよいよ舞い手である天字受売命(あめのうずめのみこと)が現れた。命は天香山の天之日影(あめのひかげ)を禅(たすき)にかげ、天之真折(あめのまさき)で綽(かずら)を結い、天香山の笹の葉を束ねて持った。そして、天石屋戸に桶を伏せて踏み轟かして神がかりとなり、胸乳(むなぢ)をさらけ出し、衣装の紐(ひも)を陰部(ほと)まで押し下げて踊った。
すると高天原中がどよめき、八百万(やおよろず)の神々はともに笑った。

008.アマテラスとスサノオの誓約

互いの持ち物をかみ砕き、生まれた神々が勝敗を決する

父神の命令に背く須佐之男

伊邪那岐神の蕨から生まれた三貴子(天照大御神・月読命・建連須佐之男命) は、父神である伊邪那岐の命令に従い、それぞれの国を治めることにした。
だがこのなかで、須佐之男命だけは命じられた国を治めず、長い髭が胸元に届くようになるまで、ただ泣きわめいていた。その泣くありさまは、青山が枯山のようになり、河や海がことごとく乾いてしまうほどだった。それからというもの、悪き神の声が夏の蝿のように満ちあふれ、この世界にはあらゆる災いが起こった。
そこで伊邪那岐が須佐之男に、
「どうしておまえは命にそむき、泣きわめいてばかり掛るのだ」
と尋ねると、
「私は母の国である根之竪州国に行きたい。だから泣いているのです」
と答えた。そこで伊邪那岐は大いに怒り、
「ならばおまえは、この国に住んではならない」といって追放した。

須佐之男と天照大御神との攻防

追放された須佐之男は、姉神である天照大御神に事情を報告するために高天原を訪れるが、天照大御神は完全武装してこれを迎える。そのいでたちは、髪を解き、男子のように美豆良に束ね、左右の美豆良にも綾にも、また左右の手にも、それぞれ八尺壕勾珠(やさかにのまがたま)の五百箇之御統之珠(いおつのみすまるのたま)を巻きつけ、背には千人之軟(ちのりのゆぎ)を背負い、脇腹には五百人之軟(いおのりのゆぎ)をつけ、また伊都之竹輌(いつのたかとも)をつけるというもので、そのうえに弓の腹を振り立てて、堅い地面が両股につくほど踏み込み、淡雪のように土を蹴散らすという、威勢のよい勇ましい態度だった。 これは、弟神が高天原を奪いに来たのだと疑ったためだ。
須佐之男は自分の身の潔白を証明するために「それぞれ宇気比(うけい) (誓約(うけい)) をして子を生みましょう」と申し出た。このとき須佐之男の持ち物である剣から、多紀理毘売命(たきりぴめのみこと)(奥津島比売命(おきつしまひめのみこと))、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと) (狭依毘売命(さよりびめのみこと))、多岐都比売命(たきつひめのみこと)ら3柱の女神が生まれた。これが宗像三女神(むなかたさんじょしん)である。そして天照大御神の持ち物からは、正勝吾勝勝連日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)、天之菩卑能命(あめのほひのみこと)など5柱の男神が生まれた。
須佐之男は「私の心が清らかだったから、やさしい女の子が生まれた。だから、私の勝ち軍基と勝ち名のりをあげた。
さて、ここでいう字気比とは、神意をうかがうこと、すなわち占いである。その結果、須佐之男の潔白が証明されるのだが、こののち須佐達男は豹変し、高天原で信じられないような乱行をくり広げる。
この不可解な須佐之男の行動についぞは、いくつかの解釈があるが、そのひとつに、古代日本において須佐之男と名のる侵略者が、時の為政者(この場合は天照大御神) を攻めたとする説がある。このくだりに記されている一連のエピソードは、侵略者と為政者との抗争を象徴的に描いたものかもしれない。

007.三貴子の誕生

禊の最後に伊邪那岐が生んだ天照大御神・月読命・須佐之男命

禊によって数多くの神々が誕生
黄泉国(よみのくに)からようやく逃げおおせた伊邪那岐神(いざなきのかみ)は恐怖におののき、「なんと恐ろしい積(けが)れた国を訪れてしまったのだ。私は楔(みそぎ)をするべきだろう」といって、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちはな)の小門(おど)の阿波岐原(あわきはら)という場所におもむき、禊をした。
禊とは、その身に罪または積れがあるときや、重要な神事を行う前などに、川や海で体を洗い清めることだ。こうした考え方は、世界的にも広く浸透している。禊を行うことで積れ (気枯れ)を祓(はら)い、パワーを廻(よみがえ)らせるのである。
さて、禊をするために、伊邪那岐が身に着けていたものを投げ捨てると、そこから次々に神々が生まれた。
杖からは衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)、帯からは道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)、袋からは時量師神(ときはかしのかみ)、衣からは和豆良比能宇斯野神(わずらいのうしのかみ)、袴(はかま)からは道俣神(ちまたのかみ)、冠(かんむり)からは飽咋之宇斯能神(あきぐいのうしのかみ)、左右の腕輪からは奥疎神(おきざかるのかみ)をはじめとする6柱の神々が現れた。
それから伊邪那岐は、「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れが弱い」といい、最初に中の瀬に沈み潜って体を洗った。そのときに八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、大禍津日神(おおまがつひのかみ)の2神が生まれた。これらの神は、黄泉国へ行ったときの積れから生まれた神だ。このあと、その禍(わざわい)を直そうとして、神直毘神(かみなおびのかみ)、大直見神(おおなおぴのかみ)、伊豆能売神(いずのめのかみ)の3神が生まれた。
さらに水底(みなぞこ)で体を洗うと底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)、底筒之男命(そこつつのおのみこと)が生まれ、中ほどで洗うと中津綿津見神、中簡之男命(なかつわたつみのかみなかつつのおのみこと)が生まれた。
そして、水面で洗ったときには上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)、上簡之男命(うわつつのおのみこと)が生まれた。これらのうち3柱の綿津見神は、阿曇連(あづみのむらじ)の祖神(おやがみ)として祀られた。また、底筒之男命、中簡之男命、上簡之男命は、墨江(すみのえ)に祀られる住吉三神である。

強大な力を持つ三貴子が登場

楔の最後には、重要な神々が生まれた。左の目を洗うと天照大御神が、右の目を洗うと月読命が、そして、鼻を洗ったときに成りいでたのが、建達須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)だった。これら3柱の神は、のちに三貴子(さんきし)と称される天津神(あまつかみ)である。
伊邪那岐神は「私は最後に3人の貴(とうと)い子を得た」といって、三貴子の誕生をたいそう喜んだ。それから、首飾りの玉の緒をゆらゆらと揺らして天照大御神に与え、「高天原(たかまのはら)を治めなさい」といった。その首飾りの玉の名を御倉板挙之神(みくらたなのかみ)という。
次に月読命に、「あなたは夜之食国(よるのおすくに)を治めなさい」といった。
次に建連須佐之男命に、′「あなたは海原(うなばら)を治めなさい」といった。
楔の当初には、黄泉国の積れから禍津神というマイナスのパワーを持った存在が生まれた。しかし楔が進むにつれてプラスのパワーが廻り、やがて増幅していき、最後には 『古事記』 に登場する神々のなかでも最も強大な力を持つとされる三貴子が生まれたのである。

006.イザナキの黄泉国探訪

変わり果てた妻の姿に驚き地上に逃げ帰る伊邪那岐

伊部那岐に斬り殺される火の神

火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んだことで大火傷を負った伊邪那美(いざなみ)は、ついに死んでしまう。
伊邪那岐(いざなき)は、「最愛の妻の命(いのち)をたったひとりの子に替えてしまうとは」といって枕元に伏して泣いた。その涙から泣沢女神(なきさわめのかみ)が生まれた。伊邪那美はその後、出雲国(いずものくに)と伯伎国(ほうきのくに)の境にある比婆之山(ひばのやま)に葬られたという。だが、一説にその墓所は、三重県熊野市とする。現在そこには、花の窟(いわや)神社がある。
伊邪那岐は妻を死にいたらしめた迦具土神に怒り、十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いてその首を斬った。すると剣の先についた血が清らかな岩に飛び散っ牽、石折神(いわさくのかみ)根折神(ねさくのかみ)、石簡之男神(いわつつのおのかみ)の3神となった。また、剣の元についた血が、聾連日神(みかはやひのかみ)、樋連日神(ひはやひのかみ)、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)となった。また、剣の柄にたまった血から闇淑加美神(くらおかみのかみ)、闇御津羽神(くらみつはのかみ)が生まれた。
さらに斬り殺された迦具土神からは正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)、激鷹山津見神(おどやまつみのかみ)、奥山津見神(おくやまつみのかみ)、闇山津見神(くらやまつみのかみ)など8柱の神が生まれた。
さてこの後、伊邪那岐は伊邪那美を求めて黄泉国へとくだり、葦原中国(あしはらのなかつくに)へ戻ってほしいと懇願(こんがん)する。ところが、すでに伊邪那美は黄泉国で飲み食いをしたあとで、葦原中国には戻れない体になっていた。それでもどうにかして伊邪那岐のもとへ戻ろうと、黄泉神よみのかみ(よみのかみ)に相談してみることになったのだが、相談が終わるまでは「決して私の姿を見ないで」と、伊邪那岐に告げた。

伊邪那岐を追う黄泉国の鬼女

伊邪那美と黄泉神との相談は長時間におよんだ。
待ちきれなくなった伊邪那岐は、髪に挿(さ)した櫛(くし)の菌を1本折り取り、火をともしてあたりを見た。するとそこには、腐り崩れた伊邪那美の姿があった。
これを見て畏(おそ)れた伊邪那岐は、一目散に逃げた。伊邪那美は「私に恥をかかせたな」と怒り、鬼女にあとを追わせた。伊邪那岐が黒い纏(かずら)を取って投げると葡萄(ぶどう)の実がなり、鬼女はそれを食べるのに夢中になった。その間に伊邪那岐は逃げ進んだが、鬼女がなお追いかけて来たので、今度は櫛を引っかいて投げ捨てると筍(たけのこ)が生え、鬼女がこれを抜いて食べている間に逃げ進んだ。
やがて黄泉の軍勢までもが追いかけてきたので、伊邪那岐は十拳剣を抜き、追っ手を振り払いながら逃げた。
ようやく黄泉比良坂(よもつひらさか)にたどり着いたとき、その坂の下になっていた桃の実を取って投げつけると、鬼女たちはことごとく逃げ帰っていった。
最後に伊邪那美自身が追いかけて来た。2神は千引石(ちびきのいわ)をはさんで言葉を交(か)わした。
「あなたの国の人々を1日に1000人、絞(し)め殺しましょう」と、伊邪那美がいった。
「ならば私は、1日に1500の産屋(うぶや)を建てよう」と、伊邪那岐が応じた。
このようなわけでこの世界では、1日に必ず1000人が死に、1日に必ず1500人が生まれるのである。

005.イザナキとイザナミの神生み

八百万の神と称されるさまざまな神々が誕生

自然界をすべる神々が登場

伊邪那岐(いざなき)・伊邪那美(いざなみ)による国生みがひと通り終わると、いよいよ神生みがはじまった。ここで、いわゆる八百万(やおよろず)の神々が誕生するのである。
最初に生まれたのは、大事忍男神(おおことおしおのかみ)である。続いて石土毘古神(いわつちびこのかみ)、石栄比売神(いわすひめのかみ)、大戸日別神(おおとひわけのかみ)、天之吹(あめのふき)、男神(おのかみ)、大屋毘古神(おおやぴこのかみ)、風木津別之忍男神(かぎもつわけのおしおのかみ)を生み、海神が生まれた。この海神には、大綿津見神(おおわたつみのかみ)という名があった。
次に水戸神(みなとのかみ)(速軟津日子神(はやあきつひこのかみ)) と、妹の速軟津比売神(はやあきつひめのかみ)が生まれる。この連秋津日子神と連秋津比売神の2神が結婚して沫那芸神(あわなぎのかみ)、沫那美神(あわなみのかみ)、頬那芸神(つちなぎのかみ)、頬那美神(つらなみのかみ)、天之水分神(あめのみくまりのかみ)、国之水分神(くにのみくまりのかみ)、天之久比香母智神(あめのくひざもちのかみ)、国之久比香母智神(くにのくひざもちのかみ)が生ま離た。
次に風の神(志那都比古神(しなつひこのかみ))、木の神(久久能智神(くくのちのかみ)、山の神 (大山津見神(おおやまつみのかみ)) が生まれた。
それから野の神(鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)・野稚神(のづものかみ))が生まれた。
この大山津見神と鹿屋野比売神の兄妹が結婚して、天之狭土神(あめのさづちのかみ)、国之狭土神(くにのさづちのかみ)、天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)、国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)、天之闇戸神(あめのくらどのかみ)、国之闇戸神(くにのくらどのかみ)、大戸或子神(おおとまといこのかみ)、
そして大戸戎女神(おおとまといめのかみ)が生まれた。
なお、『日本書紀』 の異伝(いでん)(一書(あるふみ)) によれば、大山津見神は伊邪那美が生んだのではなく、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)から生まれたと伝えられている。伊邪那
美を死にいたらしめた火之迦具土神に腹を立てた伊邪那岐が、剣で火之迦具土を3段に切り裂き、そこから大山津見神(おおいかづょかみ)、大雷神(たかおかみのかみ)、高寵神(くらおかみのかみ)(闇淑加美神) の3神が生まれたというのだ。
また大山津見神は、天孫降臨の場面において、天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)の后となる木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやぴめのきと)の父神として登場する。いずれにせよ、重要な存在といえる。

火の神を生んだ伊邪那美の死

さて、これに続いて鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)(天鳥船神(あまのとりふねのかみ))、大宜都比売神(おおげつひめのかみ)、火之夜芸達男神(ひのやぎはやおのかみ)(火之怯毘古神(ひのかがぴこのかみ)/火之迦具土神) が生まれたが、火之夜芸達男神は火の神だったので、この神を生むときに伊邪那美は陰部(ほと)を焼かれて大火傷を負い、病の床にふせるようになってしまった。
このときの嘔吐物から生まれたのが、金山毘古神と金山昆売神(かなやまびこかみかなやまぴめのかみ)のである。また、糞(くそ)かうは波潜夜須毘古神(はにやすびこのかみ)と波遜夜須昆売神(はにやすぴめのかみ)が生まれた。さらに尿からは弥都波能売神(みつはのめのかみ)(水の神)と和久産業日灘(わくむすひのかみ)が生まれる。
この和久産業日神と弥都波能売神との間に生まれた神が、のちに伊勢神宮の外宮(げくう)の祭神と巻て祀(まつ)られる食物の女神、豊宇気毘売神(とようけぴめのかみ)である。
その後、病にふせっていた伊邪那美は、ついに「神避(かむさ)る」。
人間の言葉でいえば、死んでしまうのである。
このようにして、伊邪那岐・伊邪那美の2神が生んだ島は14、神は35柱だった。
ただし、2神の正式な神婚が成立する前に生まれた淑能碁呂島(おのごろじま)・水蛭子(ひるこ)・淡島(あわしま)は、子の数には入らない。

 

 

 

 

 

004.イザナキとイザナミの国生み

兄妹神の正式な結婚により日本列島が誕生する

天沼矛で海水をかきまわす
さて、この人間世界をつくるために派遣された伊邪那岐神(いぎなきのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)の2柱の兄妹神は、「ふわふわと漂(ただよ)う国土を整えて、つくり固めよ」とい

う命(めい)を受(さず)け、授かった天沼矛(あめのぬぽこ)によって国土をつくりはじめた。まず2神は、天と地との間に浮かん

でいる天浮橋(あめのうきはし)に立ち、そこから天沼矛を下ろしてどろどろとした海水を「こをろこをろ」とかきまわした。そして矛を引きあげると、その先から塩が滴(したた)り落ち、それが積み重なって島となった。こ

れが最初の国土、淑能碁呂島(おのごろじま)である。
このあと伊邪那岐神と伊那那美神は、淑能碁呂島に降り立ち、結婚する。

2神はまず天之御柱(あめのみはしら)を立て、八尋殿(やひろどの)を建てた。
それから伊邪那岐と伊邪那美は、次のような会話を交わす。
「おまえの体は、どのようにできているのか」と、

伊邪那岐が尋(たず)ねる。
「私の体は成り整い、成り合わないところがひとつあります」
「私の体は成り整い、成り余ったところがひとつある。だからこの私の体の成り余ったところで、おまえの体の成り合わないところを挿(さ)しふさいで、国を生もうと思う」
「わかりました」
「それならば、私とおまえとで、この天之御柱をまわってから逢(あ)い、美斗能麻具波比(みとのまぐわい)をしよう」
麻具波比とは、セックスのことだ。「麻(ま)」とは「眼(ま)」 の表音文字で、「眼(め)を交(か)わす」 つまり見つめ合うというのが、もともとの意味だったといわれている。

 最初に生まれたのは水蛭子と淡島

「おまえは右からまわり、自分は左からまわって逢おう」と約束して柱をまわり、ふたりが出会うと、伊部那美が先に 「ああ、なんていい男なんでしょう」といった。伊邪那岐は「ああ、なんていい女なんだ」と応じた。それから兄妹は交(まじ)わるが、生まれたのは身体が未完のままの水蛭子(ひるこ)と淡島(あわしま)だった。これは悪いしるしに違いないと考えた2神は、この子らを葦船(あしぶね)に乗せて流したあと、天神におうかがいを立てる。

ここで『古事記』 には、2神が「布斗廃藩(ふとまに)」をしたとある。いわゆる占いである。占いは「卜(ぼく)」とも呼ばれ、もともとは神意をうかがうという意味があった。その結果、「女性が先にいったので悪い結果につながった。だから最初に戻って、改めていい直せ」という神託(しんたく)を得た。2神はこれにしたがい、最初に伊邪那岐が 「ああ、なんていい女なんだ」といい、その後、伊邪那美が、「ああ、なんていい男なんでしょう」といい直してから、改めて交わった。

これで正式な神婚がなり、淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)、伊務之二名島(いよのふたなのしま)、隠伎之三子島(おきのふつごのしま)をはじめとする八島(やしま)や、多くの小島が生まれた。
これらの八島をとくに大八島国(おおやしまのくに)と呼ぶ。これが日本列島である。

003.高天原に次々と姿を現す創世の神たち

日本人の父母となる2柱の神

この世界が天と地にはじめてわかれたとき、高天原という場所に神々が現れた。最初に現れたのは天之御中主神、次に高御産楽日神、そして神産某日神だ。

次に、まだ国土が未熟で、まるで水に浮かぶ脂か海月のように漂っていたとき、葦の芽のように萌え出てきたものから現れたのは、宇摩志阿斯詞備比古遅神だった。

続いて天之常立神が現れた。

ここまでの神々を別天神、つまり特別に貴い神々と呼ぶ。

続いて国之常立神、豊雲野神が、同輩ように単独の神として現れた。

ここまでに登場した神々は、それぞ郵単独の神として現れ、すぐに身を隠した。

この後、宇比地適神、須比智邁神代神、意富斗能地神、大斗乃弁神、阿夜詞志古泥神などが次々に現れ、、角代神、活於轡陀涜神、ようやく日本 国、日本人の父母となる伊邪那岐神、

伊邪那美神の兄妹神が立ち現れた。国之常立神より伊邪那美神までを合わせて、とくに「神世七代」と呼ぶ。

これが 『古事記』 に記されている、創世の神々のあらましだ。ここでいう高天原とはいったいどこにあるのか、どんな世界なのかについて、古来多くの国学者や神学者が論争を重ねてきた。

 

高天原の神々が人間界を統治

高天原は簡単にいえば、われわれ人間が住む世界ではなく、神々が住む世界、つまり神界ということになる。その神界から、人間界を統治するために、

次々と神々が降臨したというのが、最初の物語だ。

また、ここでは 「葦の芽」 のようなものからわれわれの世界がはじまったと記されている。

このことから、われわれ人間の住む世界のことを葦原中国と呼ぶ。

以降『古事記』 のなかでは、高天原 (神の国)と葦原中国 (人間の国) という構造が一貫して存在する。

そして天皇とは、神の末裔であり、高天原から神の命を受けて派遣されてきた地上国の統治者、という思想が語られることになる。

かつて国学者の本居宣長は、この世界は神界、葦原中国、黄泉固からなると考えていた。

そして人は、死ねばだれもが例外なく、暗くじめじめした黄泉国へ降りていって、じつとしていると考えていたのだ。

宣長の考え方によれば黄泉国とは、葦原中国から垂れ下がった汚いものの集まる場所であった。

このことから神道では長い間、死とは積れたもの、忌むべきものとしてとらえられてきた。

だが、こうした考え方は、宣長の弟子であった平田篤胤によって革新的に覆されることになる。

篤胤は、幽冥界という新たな思想を創出した。

幽冥界とは死者の世界ではあるが、われわれの生きる世界と常に重なって存在するというのだ。

これによって死は隔離されるべきものではなく、神界にもつながる真実の世界となった。