兄弟婚が多い沖縄の神話
沖縄諸島地域は長い間、日本とは別の琉球王国としての歴史を歩んできた。当然ながら、その中で民族の創始などを伝える神話もまた、記紀を代表とする大和の王権の持つ神話とは、いささか異なる。ここでは琉球王国で1603年ごろに書かれた『琉球神道記』から、開聞神話「アマミキヨ・シネリキヨ」を紹介する。
- 昔、人間がまだこの世に存在しなかったとき、太陽神テタコ大主がふと下界を見下ろすと、小さな島が波間を漂っていた。テタコ大主はアマミキヨとシネリキヨという兄妹の神を島に送り、国を造れと命じた。ふたりが降りてみると、島はまだ不完全だった。そこでふたりは天から士と石を運んで山を作り、木々を植えた。
アマミキヨとシネリキヨは、最初の島に家を建てて住んだ。やがて、ふたりは契りを交わしてもいないのに風ではらみ、3人の子どもをなした。
子どもたちのひとりめは国の主の始まり、ふたりめはノロ (巫女) の始まり、3人めは民の始まりとなったという。
さて、この国にはまだ火がなかった。そこでふたりは竜宮に赴いて捜しあて、人間たちに与えた。
やがて人間はどんどん増え、国も完成して守護の女神が現れた。これをキンマモンと呼ぶ。キンマモンは竜宮に住み、毎月御嶽(沖縄の聖域) に現れて託宣をし、神歌を歌う。
ちなみに、琉球王国の正史で1650年に成立した『中山世鑑』 では、シネリキヨは登場せず、アマミク (アマミキヨ) ひとりが島造りを担っている。
なお、本島北部の運天港沖合にある小島に伝わる創世神話は、かなりユニークなものだ。
- 初めに男と女が現れた。ふたりは兄妹で、天から降ってくる餅を食べて、裸のまま何不自由なく暮らしていた。そんなある日、ふと 「もしこの餅が降ってこなくなったら、どうしたらいいだろう?」
という不安がふたりを襲った。それ以来、彼らは餅の備蓄を始めた。ふたりに知悪がついたことが気に入らない神は、餅を降らせるのをやめてしまった。彼らは懸命に謝罪したが、神は許さず、餅が降ってくることは二度となかった。
楽園を失ったふたりは、食物を得るために、種をまき、作物を育てるようになった。これが、人間が汗水たらして、生活のために働くようになった理由なのだ。さらに、ふたりは海で交尾するイルカを見て、男女の道を知った。それ以来、裸でいることも恥ずかしくなり、植物の葉で局所を宥うことを覚えたといわれる。