パリスの審判がもたらした10年戦争
黄金のリンゴをめぐる女神の争い
ギリシア連合軍と小アジアのトロイア王国の問に繰り広げられた10年にもおよぶ戦い、かのトロイア戦争の発端は、ひとつのリンゴにあった。
- アルコー号の遠征にも加わった勇者ベレウスと海のニンフ、テティスが結婚することになった。結婚式はオリンボスの神々をすべて招いた盛大なものとなったが、実はただひとり、招かれなかった神がいた。不和の女神エリスである。腹を立てたエリスは華やかな祝いの場に乱入し、黄金のリンゴを宴会の席に投げ入れて叫んだ。
「最も美しい女神にこのリンゴを捧げる!」
その言葉を聞いて、美貌自慢のヘラ、アテナ、アフロディテの3人の女神が立ち上がり、それぞれリンコは自分のものだと主張した。自分こそが一番の実女と信じて疑わない3人は一歩も譲らず、結局、判定はゼウスに委ねられることになった。
だが、だれを選んでも禍根を残すし、恨まれるのは間違いない。任されたものの、裁きに困ったゼウスは、この難題から逃れることにした。
「裁定は、トロイアの王子パリスに任せよう」
と、パリスに下駄を預けてしまったのだ。
当時、パリスは王子でありながら、山で羊を追っていた。これには理由がある。生まれてくる王子が国を滅ぼすという凶夢を見た王妃へカベは、占い師にその子は災厄のもとになるから殺すように勧められる。そこで王プリアモスは、誕生直後の赤子であるパリスを殺すよう家来に命じた。
だが、赤子の命を奪うのにしのびなかった家来は、パリスを山に捨てた。その後、彼は羊飼いに拾われ、美しく蓬しい若者に成長していたのだ。
そんな彼のもとに、伝令の神ヘルメスに伴われ、3人の女神が現れた。自分が一番の美女だと裁定してもらおうと、彼女たちはパリスにそれぞれ取り引きを持ちかけた。大神ゼウスの妻ヘラはいう。
「私を選べば、おまえに最高の権力を授けよう」
知恵と戦いの女神アテナは約束する。
「私は、どんな戦いでも勝利する力を与えよう」
負けじと美と愛の女神アフロディテもいう。
「地上で最も美しい女性を授けよう」
どれも魅力的な申し出である。迷ったあげく、パリスはアフロディテの条件を選択した。
「アフロディテ様、黄金のリンゴはあなたのものです」
この瞬間、パリスは残るふたりの女神を敵に回したのである。
暗雲たちこめるトロイア
数年後、山を下りたパリスは国をあげて行われた競技大会に出場し、ことごとく勝利を収めて注目を浴びる。このとき予言能力を持つトロイア王女カッサンドラは、彼が自分の兄であることを見抜き、父王に伝えた。
「なんと、山で死んだと思っていたパリスが生きておったのか。さっそくこの王宮に迎えよう」
王は手放しで喜んだ。老いた王は、王妃が見た凶夢をすでに忘れていたのだ。王宮での生活にすっかり慣れたころ、王はパリスにスパルタ大使という重要な任務を与えた。だがこのとき、カッサンドラは不吉なものを感じ、父王に進言する。
「父上、パリスをスパルタに送るのはおやめください。わが国に悪しきことが起こります」
王はこの言葉を一蹴した。
「何を馬鹿なことを。またおまえのくだらん予言か。いいかげんにせい」
実は正確であるにもかかわらず、カツサンドラの予言にはだれひとりとして耳を貸さなかった。
それには理由がある。あるときカツサンドラは太陽神アポロンに求愛され、恋人になるかわりに予知能力を授かった。ところがその力は皮肉にも、やがて彼女がアポロンに捨てられるという未来を見せたのだ。傷ついた彼女は、アポロンの愛を受け入れようとしなかった。
「約束が違う! 私を愚弄したおまえの予言など信じる者は、この世にだれひとりいないだろう」
このアポロンの呪いによって、予言を信じる者はいなくなってしまったのだ。こうしてパリスは、スパルタへと旅立っていったのである。
パリスとへレネの出会い
「おお、なんと美しいのだ、これこそアフロデイテ様が私に約束された女に違いない」
スパルタに到着し、王妃へレネに会ったパリスは、ひと目で恋に落ちた。しかし相手は人妻である。悩むパリスをアフロディテが助けた。口実をもうけて王のメネラオスを国外に出し、城を留守にさせたのだ。その間にパリスはヘレネに迫った。
「ヘレネ、あなたほど美しい女性に出会ったのは初めてだ。どうぞ私の妻になってほしい」
アフロディテの力が働いたのか、ヘレネはくどき落とされ、パリスの愛に応えた。
「パリス様、私はこんなところにいたくありません。あなたの国にお連れください」
「もちろんだ、決して離しはしない」
激情にかられたふたりは、宮殿中の財宝とともに船に乗り、トロイアに逃げたのである。
帰国したメネラオスは、愛する妻を連れ去られたばかりか、財宝をも持ち逃げされたことを知るや怒り心頭に発した。そして、憤怒の気持ちを兄アガメムノンに訴えると、ミュケナイおよびアルゴスの王であるアガメムノンも激怒した。
「許せん! トロイア王家はギリシアを侮辱するのか。すぐに軍を起こして攻め入ろう!」
へレネと財宝の奪還を決意したメネラオスは、兄アガメムノンを総大将として復讐の軍を起こした。これにべレウスとテティスの恵子アキレウスをはじめとする全ギリシアの英雄が応え、こぞって参加する。これらの英雄たちを乗せた大艦隊はトロイアに向かって出発した。ひとつのリンゴから端を発したトロイア戦争の火ぶたが、ついに切って落とされたのである。