消えたガネーシャの首
「神様の絵」は、インドの各地で人気を集めているが、その特徴を知らなければ、どれが何という神様なのか区別がつきにくい。
ただし、ガネーシャは別だ。何しろ頭が象なのだ。そして、片方の牙が折れている。
彼はまた、供物である果物を食べすぎたということで、太鼓腹の姿で表されることが多い。蛇の帯を締め、腕が4本あり。多くは鼠に乗っている。
もちろん彼にしても、生まれながらに象頭だったわけではない。それにはいくつかの奇想天外な神話があるが、一般的なのは次のものだ。
-シヴァの妻パールヴァティーは、夫の留守中、退屈まぎれに体の垢を集め、美しい人形を作った。その人形を気に入った彼女は命を吹き込み、息子とした。それがガネーシャだった。
あるとき、水浴をしようとしたパールヴァティ1が、ガネーシャに見張りを命じた。
「私が水浴をしている問、浴室にはだれも入れないようにしなさい」 と。そこにシヴァが帰宅した。ガネーシャは父の顔を知らないため、母の命令どおり彼を追い返そうとした。シヴァももちろんカネーシャが自分の息子(?) であることを知らないため、ふたりは浴室に入れろ入れないの押し問答になった。ついに激怒したシヴァは息子の首をはね、遠くへ投げ捨てたのだ。
嘆き悲しむ妻の姿を見て、シヴァは捨てたガネーシャの頭を捜しに旅に出た。だが、どうしても見つけることができなかった。そこで、しかたなく最初に出会った象の首を切り落として持ち帰り、ガネーシャの体に取りつけて、復活させたのだ。
また、ガネーシャの牙が1本折れていることに関しても面白い神話がある。
- あるとき、ガネーシャが酔って夜道で転倒した。その姿を月に嘲笑されたため、怒った彼が牙を1本折って月に投げつけた。傷ついた月は、それ以来、満ち欠けするようになったのである。
カネーシャの名は、カナ(群衆)とイーシャ(王)を合わせた意味をもち、インドでは知恵と学問、商業の神として信仰されている。
人々は何かを新しく始めるときは、その前に必ずガネーシャに祈りを捧げる。ほかの神を信仰していても、最初にこの名を唱えることすらある。
ただし、これはガネーシャが嫉妬深いため、信者たちはそれを恐れて…‥・という説もあるが。
ガネーシャは仏教に入ってからは「聖天」や「歓喜天」という名になり、現世利益を与える存在となった。